心に花の咲く方へ【α版】

刺激を受けた感動を言葉で

『福島第一原発観光地化計画』刊行記念イベント第1弾! 小林よしのり×東浩紀 福島第一原発観光地化計画と日本の未来@ゲンロンカフェ

平成25年11月9日(土)ゲンロンカフェにて、『福島第一原発観光地化計画』刊行記念イベント第1弾! 小林よしのり×東浩紀 福島第一原発観光地化計画と日本の未来に参加してきた。

このイベントの第一報は、東氏のツイートからだった。東氏が突如、「小林よしのりさんと連絡がとりたい」と呟いたのである。東氏とよしりんはどちらも言論における重要人物でありながら会ったことはなく、よしりんが作品中で東氏に言及する(批判的に)程度だった。東氏はよしりんの批判には敢えて無視を決め込んでいるように見えた。。

宇野常寛東浩紀の大喧嘩をツイート上で見ていた者としても、宇野常寛とAKB絡みで一緒になることが多い小林よしのりが、東浩紀に会うというだけで何かが起こるんじゃないかという期待を惹起するには十分だった。

イベントが始まる前から気になっていたのが、イベントそのもののタイトルである。

福島第一原発観光地化計画」出版記念。

f:id:kicks1126:20131110153212j:plain

私は東氏の「福一観光地化計画」を支持し、応援している。
しかし、その晴れの成果の花火の打ち上げイベントとして呼ぶゲストが小林よしのり

前述の通り、小林よしのり東浩紀は今までシンクロしたことがほぼ無い。観客動員や話題作りという観点において小林よしのりを呼ぶということは魅力的な話なのは間違いない。しかし、東浩紀がそんな安易な視点で小林よしのりのブッキングをするとは思えない。しかも、相手は小林よしのりである。東浩紀が魂を込めて作った『福島第一原発観光地化計画』がゴーマニズムによって粉砕される危険性は十分あったはずだ。少なくとも、和気あいあいという計算など成立するはずがない。

なのに、なぜ敢えて東浩紀小林よしのりを呼んだのか。

それが私の最も興味を持った点である。


f:id:kicks1126:20131110153129j:plain


イベントが始まり、その疑問への回答は東氏自身から語られることになった。東氏は「この本を作って最初に意見を聞きたかったのが小林よしのりさんでした」といきなり語ったのである。そして、東氏自信が90年代から『ゴーマニズム宣言』の読者で小林よしのりを尊敬していると語り、薬害エイズ闘争などは自分の世代がど真ん中なのだと、いわば、小林よしのり愛を披露したのである。正直驚いた。そうだったのか。

その上で、東氏がよしりんにゲラの段階で渡していたという『福島第一原発観光地化計画』の感想を求める。よしりんは未来のことすぎて「ピンとこない」と語った。

小林よしのりの作品も東浩紀の作品も読んでいる自分としては、なんとなく「さもありなん」って感じがした。記念すべきイベントでこの第一声は緊張感があったはずである。イベントそのものの意義が問われかねない内容だからである。

よしりん曰く、「この本は脱原発なのか推進なのか分からない」。

よしりんは『脱原発論』を著し社会に脱原発の姿勢を高らかに宣言している。
確かに『福一観光地化計画』のメンバーはその辺りの意見表明はしていない。本の中でも脱原発のメンバーもいれば推進のメンバーもいると書かれており、敢えてその意見集約を避けているのだと理由も含めてちゃんと書かれている。

議論はその辺りの両氏の意見の違いを浮き彫りにすることから始まった。

東浩紀脱原発論者である。こんな事故を起こした以上、この国で原発なんかやっていけるはずがない。だから脱原発は自明のことだと。

よしりんもその東氏の表明には驚いていたようである。東氏の中では脱原発など自明すぎて議論の意味を見出していないようだ。

一方、よしりん脱原発はしっかり論じなければならないと言う。たとえ自明のことであっても、民衆は「しょうがない」と言いながら忘れると。自民党が原発を推進する以上やはり大事なのは脱原発を叫ぶことだと。

東氏はみんな脱原発は自然の流れだと認識している。だからさらにその向こうの、未来の議論をしなければならない。脱原発だとか推進だとかを語り続けることが福島を語ることを硬直させるのではないという危惧を持っていて『福一観光地化計画』を書いた。


両氏のスタンスの違いはこの国の民衆への信頼の度合いなのだと浮き彫りになっていく。


議論は山本太郎を着火点に低線量健康被害への両氏の認識の違いにも至り、このあたりは相当緊張感があった。1ミリシーベルトを原則に全ての議論をすべきというよしりんと、それを言うと100万人規模での移住が必要だとする東氏との間で互いに主張がぶつかる。しかし、よしりんは思想の姿勢を語り、東氏は現実を語り、議論自体がすれ違っているように見えた。それをお互いが理解していないから互いが余計なヒートアップをしている気がした。相当緊張感が高まった。

流れの中で出てきた「山本太郎論」が両者のスタンスの違いを分かりやすく言い得ていたような気がする。なので、自分自身の昨日のイベント直後のツイートを引用しておく。

小林よしのり東浩紀山本太郎観はどちらも共感できる面白いものだった。よしりんはああいう原則論を掲げて突っ走る奴がいないと自民党と大衆に原発推進に流されてしまうという見方。東氏はあの手の急進的な脱原発論者のせいで脱原発論の間口が狭められているのではないかという見方。」


途中、東氏が話題を変えることで流れが変わった。

「小林さんはアンチグローバリズムじゃないですか?ならこの国はどんな国になればいいと考えているんですか?」と話が大きくなったのである。

よしりんは持論を展開する。読者ならおなじみの小林よしのりのアンチグローバリズム論。思想の節度としてこの考えは絶対に失ってはならないと私も強く共感している。

それに対して東氏がアジアとの関係についてはどう考えているのか?明治維新や戦後など、過去を捨て去って割り切る日本の体質も見逃せないのではないかなどと話題を振り、小林よしのりの内向きで完成させようとする文明観を外へ引き出そうとする。このあたりの東浩紀は圧巻だった。

よしりんがいろいろなことに気づき、納得しながら語っているのがよく分かる。生の醍醐味はここだ。2人の語りの表情、聞きの表情…特に聞きの表情は映像では抜かれないから…しかしここにこそ、重要なことが眠っていたりする。よしりんの表情が明らかに変わった。


日本は日本的価値観を持って、アジアのリーダーになるべきという小林よしのり
日本優位論は嫌いだと言いながらも、日本の中にある「普遍性」は広められるべきだという東浩紀


この程度の違いはスタンスの違いでしかない。重要な点でリンクした!それが分かる瞬間だった。


そして東氏がこの壮大な文明論を『福島第一原発観光地化計画』に落とし込む。


東浩紀は福島という場所…ユーラシアの本当の東の端であの事故が起こったことには文明や文化の話として意味があるのではないかと思っている。西洋の文明が東の果ての果てにまで押し寄せて、地震という自然の力と衝突したのではないか。

日本の歴史としても、福島は大和朝廷と蝦夷の境界地帯で、やはり文明の境目。

ヨーロッパ発の地盤の硬い場所で生まれた現代文明が岐路に立たされた場所が、自然と戦いながら共存しながら育んできた日本という独特の場所だったという意味。

日本は現代文明にはない災害や自然との共存という価値を世界に発信できる。

福島をそんな場所にしたいのだと。
だから『福島第一原発観光地化計画』を書いたのだと。


小林よしのり「ならいいんじゃないの。」「むしろ35年後なんて遅いじゃん。いますぐやってくれよ。」


東浩紀小林よしのりが完全に分かり合えた瞬間だった。
自然と拍手が起こっていた。

神が降りてきたような瞬間だった。



和気あいあいの議論ではなく緊張感にあふれ、しかしどこかに着地点を見ようという東浩紀の姿勢は素晴らしかった。終盤に今ブームとなっている若手言論人についての話にもつながるが、意見が合うとは限らない相手を招待してよく共通点を発見できたと思う。このイベントはそんな東浩紀の勝利だった。そして、その東氏のいわば、“挑戦”に受けてたって、壁になってしかし真摯に話を聞き続けた小林よしのりも凄い。彼がイデオロギーやポジションで人を決めつけないフラットな人間だということがよく分かった。それがよしりんの表情からよく読み取れた。

本当に幸せな場面に立ち会えたもんだ。

対談を聞きながら取ったメモは33ページに及んだ。
まるで大学の講義を聞いたかのようだ。

f:id:kicks1126:20131110171049j:plain

とても清々しい“授業後”だ。
この旅を実現に導いてくれた全ての人たちに感謝します。







最後に、イベント直後の自分のツイートを記録しておく。新鮮な言葉にもそれなりに意味はあると思うから。


小林よしのり×東浩紀トークイベント。低線量健康被害の認識の差、山本太郎論?、現状の政治についてから、福島をめぐる文明論にグローバリズム、TPP、日本の在り方などなど。。最後は宇野濱野の話まで盛りだくさんすぎてわけ分からん楽しさだった。」

「最初は東氏の福島第1原発観光地化計画に懐疑的だったよしりんが、激論を交わした挙句に、福島という土地であの事故が起こったという文明論的視座に到達することで、観光地化計画に賛意を示すに至ったプロセスはあまりに刺激的で鳥肌立ちっぱなしだった。」


よしりんの話で印象に残ったのは、ゴー宣安倍晋三批判をしても全然売れないということ。よしりんの予言は全て当たっているにも関わらず売れない。大衆は安倍批判など読みたくもないのだと。だから違うアプローチとして取り組んでいるのがSAPIO連載中の『大東亜論』という話。」