心に花の咲く方へ【α版】

刺激を受けた感動を言葉で

大瀧詠一との想い出

大瀧詠一が亡くなった。65歳だったという。

65という数字の重みは正直分からない。
この意味は65になった自分が判断するだろう。

ただただ、寂しい。
1984年発表『EACH TIME』以来アルバムをリリースすることもなくずっと沈黙を守ってきた“批評音楽家”。ずっと、いつかは世間の度肝を抜くような作品を届けてくれるに違いないと待ち続けていただけに実に寂しい大晦日だ。


大瀧詠一との想い出。

大瀧詠一と言えば「ラブジェネレーション」の主題歌『幸せな結末』のイメージ。世代ではない自分にとっても出逢いはそれだった。しかし、日本のポップス音楽を遡る作業に自分の興味が目覚めた時に最初にぶちあったのが大瀧詠一だった。その時社会人1年目。自由になる金が増えて最初に“大人買い”したのが大瀧詠一の作品群だ。名作は時代を超えて残っているものだと教えてくれたのが大瀧詠一だと言える。

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私の音楽はすべてCHAGE and ASKAのためである。CHAGE and ASKAを客観的に評価出来なければただのファンの感想に堕してしまうと気付いた時から音楽の歴史を紐解き始めたのである。CHAGE and ASKAはどんな音楽の影響を受けているのか。そんなところが理屈だ。

その最初が大瀧詠一だった。
なにしろ日本語でロックを表現した云々というのが、彼の所属するバンド•はっぴぃえんどだったからだ。はっぴぃえんど経由からの大瀧作品だった。大瀧作品の歴史はロックが日本語に溶け込む歴史そのものである。そのひとつの結実が歴史的名盤である『A LONG VACATION』だ。今でも1年に何度か無性に聴きたくなる作品。この音は自分が生まれた1980年の作品だが、時代性を超えている。古さを感じない。これがスペクターサウンドの真骨頂であろう。
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ポップスとは時代性と離れることはない。時代を経れば必ず“古く”なる。それは時代と会話をするポップスの宿命だ。それはCHAGE and ASKAだろうとなんだろうと変わらない。だからこそリテイクに意味が宿るのだ。しかし大瀧作品にリテイクは意味をなさない。聴きたいとも思わない。それはこの作品が時代性を超えているからだ。こんなことは本来あり得ないのである。ポップスを追求した果てにポップスの宿命を乗り越えてしまった作品なのである。古典でありながら現代でも間違いなく最新の音として響く作品。それが『A LONG VACATION』なのである。

その理由を知りたくて何度もこの作品を紐解くのだ。
それはきっと大瀧先生が去ったこれからも変わらない。

最大の謎を残して去ってくれたものだ。