心に花の咲く方へ【α版】

刺激を受けた感動を言葉で

速水健朗「フード左翼講座〜消費と政治、その分かち難いランデブーのゆくえ〜」第1回

f:id:kicks1126:20140214123811j:plain
『ラーメンと愛国』『1995』『フード左翼とフード右翼』らの著者・速水健朗さんの話を聞きたくて、今年初めてのゲンロンカフェ。

テーマは
「フード左翼講座〜消費と政治、その分かち難いランデブーのゆくえ〜」第1回。

年末にリリースされた『フード左翼とフード右翼』をさらに深化させる講座といった趣か。

f:id:kicks1126:20140214124646j:plain

前半は速水さんによる講義。
『フード左翼とフード右翼』で訴えたかった真意を披露することから始まり、今回のテーマであるアメリカ西海岸の思想の話へとシフトしていった。

「フード左翼」本は是非たくさんの人に読まれて欲しい本だ。
端的に言えば、食の選択は政治的行為であるという速水さんの仮説を補強してゆく内容だ。
有機野菜など、食の安全を優先させる人々=産業化した食に抗う人々をフード左翼。
ジャンクフードなど、産業化された食に従順な人々をフード右翼と定義して、話は展開される。

フード左翼の実態のレポートは速水さんの著作としては新境地で面白いし、それを起点に展開される左翼右翼の思想と現実の矛盾は立ち止まって考える必要がある重要な指摘である。

食の本としても思想の本としても読める「フード左翼」本なのだが、今回の講義で速水さんが描きたかったことは、

60年代に社会を変革しようとした学生運動世代、ヒッピー世代は一体どこへ行ったのか。

ということだったという。
速水さんは彼らの政治運動が消費運動に変わったのではないかと指摘する。
これが「フード左翼」本のテーマだ。

ここで話はあらゆる方向に拡大するのだがそれが実に面白い。
社会変革とは、近代において工業化が進んだ結果生まれた階級社会を打破しようとするもの。マルクスを代表する社会主義運動のことである。社会が抱えた矛盾を政治運動によって解消する試みだ。

速水さんはこの社会変革運動は「失敗の繰り返し」だと喝破する。
先日の東京都知事選の家入一真氏を引き合いに、ベンチャーで成功した人物がどうして政治運動に転向していったのかが全然分からないと速水さんは言った。

つまり、経済活動によって成功し、世間に新しい風を吹かせた人物が何故、成功するはずのない政治運動による社会変革を希求するのかと。

ここで速水さんの社会変革に対するスタンスが明らかになる。
理念を掲げてそれに向かって突き進む社会変革は絶対に失敗する。
歴史は理念通りに行かず結果、内ゲバに向かう。
これが左翼が失敗してきた理由である。

あと、こんな指摘もあった。
左翼は平等を志向するため、すべてを共有する。
個人による「所有」をぶっつぶして「共有」する。
その例としての恋愛主義とフリーセックスの事例はとても面白かった。

左翼系の書く小説では主人公は出会う女性出会う女性とことごとくセックスをする。
そもそも恋愛とは「所有」である。
容姿やステータス、年齢などによるえり好みはそもそも「平等」に反する。
だから左翼の世界ではどんな女性ともセックスをするのである。
この話を聞きながら、初期のソ連では「家族も共有物」という思想の下、あらゆる家族が集められフリーセックスが政策としてすすめられたという話を思い出した。
いずれにしても私たちには感覚としても理解できない世界である。

だが、この例は左翼がどのような形で「平等」を目指そうとしていたかがとても分かりやすい。

f:id:kicks1126:20140214134620j:plain
一方、ここからが本題だ。
自動車のフォードがもたらしたもの。
大量生産によってだれもが自動車を持てるようになった。
資本主義は格差と階級化を生むとしたマルクスに対して、フォードは大量生産によって「平等」を達成したのである。

西海岸はそんな思想が生まれた場所であるというのがこの講義のテーマだ。
西海岸とはアメリカの開拓精神の発露の場である。
大西洋の東からアメリカ大陸になだれ込んできた西洋人が東から西へと開拓を進めて行った場所。
豊かになった東海岸からいわば、はぐれて流れ着いたちょっと変わった人たちが集まった場所とも言える。

速水さんは3つの例を挙げて西海岸の思想を紹介した。
チャールズ・オーモンド・イームズ(1907-1978)
建築家であり、インダストリアルデザイナーであり、映像作家であるイームズ
彼は大量生産可能なイスをデザインすることで社会を変えた。当時はソ連とアメリカがミサイルで争うというよりも、ライフスタイルで競っていた時代であった。宇宙開発も冷戦の産物と言える。

ビーチボーイズ(1962-)
彼らの祖父世代は何も無い荒野だった西海岸。その発展した文化を音楽で表現した彼ら。娯楽による平等をもたらした。

自分を遅れてきたヒッピーと称したジョブズ。あの個性的なコンピュータを産んだ土壌は西海岸にあったのだ。実際に現在のコンピュータのメッカはアメリカ西部である。


休憩を挟んでの後半は速水さんとNHK出版の松島倫明さんとの対談。
前半の速水さんの講義を補いながらのこの対談は主に、西海岸で生まれたこれらの思想が日本へ輸入されるにあたり、不思議と抜け落ちたものとは何なのかを論ずることになった。

現代の何かをしたい女性が大好きなヨガやジョギングなどは西海岸のヒッピーたちが始めたものだ。自然に生きるという政治的メッセージにあふれた運動であった。しかし、日本に輸入された瞬間にそれらは見事に抜け落ちてしまっている。

この話には多分に頷く部分がある。
日本の文化の受容の骨抜き機能は別にヨガやジョギングに限ったことではない。漢字ひとつとっても漢字が輸入されたときには本国で使われていた意味性が全く抜け落ちていた。それが万葉仮名だ。それによって日本語は日本語として維持できたという日本文化の強固さを示す話なのだが、ヒッピー文化も政治性という意味は見事に抜け落ちてスタイルだけが入ってきたというわけか。

そして、今回の講義最大のワードが松島さんから飛び出す。
日本が西海岸から全く輸入出来なかったもの。

それは

リバタリアリズムであると。

西海岸は経済保守の人が多く、政府による経済介入を極端に嫌う。
アメリカの右翼は小さな政府志向である。それがリバタリアリズムだ。
アメリカで国民皆保険が嫌われるのもリバタリアリズム故のこと。

このリバタリアリズムというワードを踏まえて先ほどの話を振り返ると全てが分かりやすくなる。
イームズジョブズもリバタリアリズムで「平等」を達成したといえる。


政府の力や理念だとかそういうことではなく、資本主義に従って、自分の経済活動の果てに社会変革が成る。これがリバタリアリズム。


田母神氏いは日本の右翼の代表格だ。
しかし彼が都知事選で掲げた公約は、豊かな福祉だ。これはアメリカの経済保守からは絶対に出てこない話だ。リバタリアリズムではない。



私はここで全てを見直さなくてはならないのではないかと痛感した。
自分は理念で社会にコミットしようとしてきた。それが信念だったのだ。
しかし、実際に社会を変えているのは理念ではないのではないか。

リバタリアリズム。

これが今後、自分の思想にのしかかってくる。
確かに猪瀬直樹に触れることでこのリバタリアリズムがもたらす効果に惹かれ始めていた。
この正体を今回の講義で速水さんにはっきりと指摘された気分だ。

リバタリアリズムを突き詰めれば新自由主義へとつながるのであろうが、今は私は経済原理の中で生活している。その立場で出来ることはあるということだ。
この場所から拓ける景色があるということだ。


感想は書けば切りが無い。あまりにたくさんの刺激を頂いた。
しかし、これはまだ第1回なのだ。
幸せなことだあと2回もある。
速水さんは次回のことは考えていないと言っていたが。
いずれにしても次回の講義が楽しみである。