心に花の咲く方へ【α版】

刺激を受けた感動を言葉で

「断絶」と向き合ってきた

5月3日。

朝日新聞労組主催「5・3集会 戦争は知らないー「断絶」と向き合う」へ参加してきた。

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朝日新聞の集会など数年前の自分なら絶対に行くはずのないものだが、やはり変わったものだなぁとつくづく感じるものである。わざわざ神戸まで行ってこのようなシンポジウムに参加してきたのは、要はシンポジウムの登壇者。

コーディネーター/速水健朗(ライター、編集者)
パネリスト/古市憲寿社会学者)、西谷文和(ジャーナリスト)、中田整一(ノンフィクション作家)、田母神俊雄(元航空自衛隊幕僚長)

速水さんや古市くんの話を生で観たかった上に、田母神俊雄である。
こんな異種格闘技戦は見れるものではない。
速水さんが壇上で暴露していたが、朝日新聞側でも「なぜ田母神を呼ぶのか」との異論が噴出していたらしい。

私は田母神俊雄を呼べる朝日新聞の器量には敬意を表したい。
右も左も自分の身内を集めて自分たちのテンプレートの言語を言い合って喜び合っているだけの自慰空間で満足しているばかりだ。今回の集会がその自慰空間に風穴を開けるものになったのは間違いない。

しかし、風穴が開いたのは間違いないが、あそこにいた人たちがそれに自覚的だったかは相当怪しい。



シンポジウムが始まる前から私にはこの空間が自分の知っている空間ではないということがすぐに分かった。

ツイート:会場がみんなパンフレットを見てる。スマホを見てる人がほぼいない。ここは明らかに毛並みが違う。

こう述べているようにスマホを見ている人がほぼ皆無。今日日電車でもどこでも、いや、歩きながらでさえスマホが欠かせない人間が多い(自分もそうだ)中、会場の約450人は皆、目を凝らして配布されたパンフレットを見ている。見ているのはいいが、大半がパンフレットを目から離しながら見る...いわゆる“老眼”モード姿勢なのはいかにも世代を表していた。

シンポジウムの構図は、先入観で言えば左側の古市、西谷、中田vs田母神になるだろうと思っていた。

しかしそれは違った。
その違いこそがこのシンポジウムの価値だったのだと思う。

西谷は戦場ジャーナリストである。戦場を知っているその言葉はリアリティにあふれ、戦場の事実を聞くにはとても勉強になった。しかし、戦争や外交を哲学的に語る段になると、とたんに陰謀論や理想論になる。戦争の真の黒幕は三井物産だと言い切ったときはその紋切り型の陰謀論的決めつけにシラけてしまった。速水さんに、「戦争と経済は切り離せないものなのですね。」とやんわりいなされていた。その時、私は速水さんにとても同情してしまった。コーディネーターとして、「陰謀論はやめてください。議論のレベルが下がる」とは言えなかったのだろう。だから相当無理のある解説を施すことでかろうじて議論の形を作っていた。速水さんは荻上チキに並ぶ名司会者になるかもしれない。そんな片鱗が見えた瞬間であった。

しかし、西谷氏の発言以上に驚かされたのは、西谷発言への会場のリアクションである。
あの程度の陰謀論で大拍手が起こるのである。「よく言った!」と言わんばかりに肩を震わせながら手を叩くおじさんがたくさんいた。

全然感性の違う空間に自分は自ら乗り込んできたのだとはっきり悟った瞬間であった。

一方、田母神氏が発言すれば、ウケ狙い発言には笑えども、氏の大東亜戦争肯定論にはため息で返すばかり。明らかに田母神氏の話す内容を聞く気などないという構えが会場全体で見えた。ただ、そんな中でも自身のキャラクターを守り切って、笑いを取りながら主張は譲らないという田母神氏の強靭さには感服であった。朝日新聞のステージに単身乗り込んだ田母神氏には敬意を表したい。

本来ならば、このように左右の断絶を確認しあって終わるはずだったに違いない。
しかし、それ以上の「断絶」を私は見てしまったのだと思っている。


ツイート:会場と田母神さんとの断絶以上に、会場と古市さんとの断絶が明らかになった。 #genron53


このツイートはシンポジウムの終盤に古市氏本人が読んでくれた。
そう、最大の「断絶」は古市氏と会場だった。

会場の左翼闘士たちは古市氏の言うことがほぼ分かってなかったはずである。少なくとも耳を傾けるべき「いいこと」を言っているとは誰も思っていなかったはずである。実際、古市発言に対する拍手はシンポジウムを通して皆無だった。それは田母神氏と同様である。田母神氏に対する拍手無しは分かる。そりゃ彼の発言には拍手もしたくないだろう。

しかし古市氏へのそれはきっとそういうものではなかったはずだ。共感しないとか、反発とかではなく、要は「分からない」のではなかったか。

古市氏は一貫して「紋切り型」「テンプレート」への違和感を表明していたのだ。
先の大戦の教訓ばかりを語っていても、これからの戦争は総力戦にはなり得ないのだから教訓にならないのではないか。

これは過去の戦争を語ることで戦争を防げると思っている左翼への痛烈な批判である。いや、右翼へもその批判は当たる。田母神氏は現代戦を語らせると凄まじいまでのリアリストだ。戦力分析やシュミレーションなど冷徹までのリアリストだ。しかし、先の大戦を語るととたんにロマンチストへと変貌する。その違和感を古市氏も表明していた。

きっとこの違和感は彼らには分からない。
中田氏がいかに2・26事件のディテールを長々と語っていても、正直それは全く面白くないくて話が全然心に届かない。左翼は若者に届く言葉を失って久しいが、中田氏もそんな一人だった。

古市氏はそれも含めて、リベラル衰退の理由を「話がつまらないから」と語った。全く同感である。

しかし、それは会場には理解されない。それはそうだ、結局彼らはああいう「面白くない」話が面白くて拍手をするのだから。


戦争は語り継がれないのではないか。


私はこのシンポジウムを通してそれを感じてしまった。
語る側が語り継ぐべき若者に自分の言葉が届いていないという自覚が無いのである。
それはもう絶望的なほどに。

古市くんはそれを身を持って体現してくれたようなものである。
その意味で古市くんから建設的な意見は聞けなかった。しかし、絶望的なまでの「断絶」は見せてもらった。


戦争教育は不要なのかもしれないと左翼空間に足をつっこんで思ってしまった。古市くんのおかげである。またひとつ思想の引き出しが増えた。

そして、完全に古市憲寿のファンになった。
なんてったって私のツイートを2度も読んでくれたのだから。
スマホを見るものがいない空間で、iPad片手にツイートを繰り返していたのは私です。