ダークツーリズム実践「人と防災未来センター」訪問
5月4日。
前日のシンポジウムの興奮が冷めやらぬままに、第二の目的である「人と防災未来センター」を訪れた。
ここは1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災の歴史と教訓を後世に残そうと2002年に作られた博物館である。
歴史を残す。
これは3.11以降、自分の中で大きなテーマになっている。
東浩紀氏らによる「福島第一原発観光地化計画」に並々ならぬ関心を寄せているのもそのためだ。歴史を繋いでゆくことの難しさへ立ち向かうことが自分のライフワークであると今では思っている。
そのためにも阪神淡路大震災はどのような想いと手法で継承をしてゆこうとしているのかを知りたい。そう思った。
と言いながら、私は恥ずかしながら「人と防災未来センター」なる施設が存在する事を知らなかった。ここにまずは大きな壁があった。私がこの施設を知ったのは東浩紀編『チェルノブイリ・ダークツ―リズムガイド』、津田大介メルマガ『メディアの現場』を通してである。
結果からいえば、この施設は勉強になる。とてもいい体験をさせてもらった。
内容が内容だけに語弊が生まれかねないが、神戸市と市民のみなさんの風化への抗いがはっきり伝わった。あえて「市民」という言葉を使った意味は後々明かそう。
施設は入場早々、“あの日”の追体験から始まる。最新のテクノロジーを駆使して、あの震災の瞬間を映像と音で再現する事からこの博物館は始まる。女性の誘導に誘われるままホールに入ってすぐに“再現”が始まったものだから、まさに分からないまま状況に放り込まれた気分だった。
いきなりの衝撃“追体験”が終わると、震災直後の町並みを通り(再現)、シアターへ。シアターでは阪神淡路大震災から未だ続く復興までのドキュメンタリー映像を見ることになる。
体験と映像で、あの日に何が起こり、今日どのように復興の道を歩んでいるかを知ることになる。1995年はすでに19年前の出来事だ。自分自身、あの日の震災はまだはっきり覚えている・・つもりだった。しかし映像を見て、やはり記憶は風化していたのだと気付かされるのである。しかし、一方で映像は記憶を甦らせてくれるし、あの震災を知らない若い人たちにはクリアにあの日を教えることが出来る。映像の持つ力である。
身体を使ってあの震災を振り返った後は場面を展示ブースへと変える。展示ブースへ足を踏み入れて最初に目にするのは、震災の時刻5:47で針と止めた柱時計である。そう、被災現場から集められた遺品や資料の数々である。地震の凄まじさを物語る資料が写真だけでなく、物品まで展示されている。地震の圧力で曲がりくねった鉄を見たとき、いかに土地が荒れ狂っていたのかと背筋が凍る思いがした。言葉が出てこない行政文書などもある。。火葬に関する文書などである。深い悲しみを伝える場所である。
しかし、このブースは震災の凄まじさを伝えるだけではない。
歴史を残すとはもちろん、当時の品や証言を残すことと同義だ。しかし大切なのは「その後」なのではないか。そんな想いに駆られたのがこの資料館のすごい所である。
つまり、「復興」への道のアーカイブである。
震災が起きた後の今日までの道のりを、課題と成果をすべて分析して後世へ残す。
そのはっきりとした意志が伝わる展示になっているのである。仮設住宅、復興住宅、地域の再生、ボランティア、産業復興などなど、あらゆる観点から失敗や成功を分析して展示してある。これこそ東日本大震災後の生きた資料ではないか。歴史を残すことの意義ではないか。私はしばらくここから離れられなかった。
この資料館はここまでで充分歴史を後世に伝えてくれるだろう。しかしそれだけではない。ブースを出ると、地震や津波などへの防災を学ぶスペースがある。理科の実験コーナーみたいなもので理論を分かりやすく学びながら、「減災」への意識を植え付けられる場所である。子供たちはここで学ぶ方がとても分かりやすいであろう。
ただ、この辺で少し違和感を抱くようになる。職員の方々が皆、高齢者なのだ。そしてその職員さんたちがいろいろと話しかけてくるのである。途中で気付いたのだ。この人たちは震災の「証言者」たちなのだと。とてつもなく地震や津波の理論に詳しいのである。
私はこの老人たちから、液状化現象の原理や、建築基準の改正の話を学んだ。
これは福祉政策でもあり、震災教育でもあるのだ。世代でコミュニケーションをとりながら、福祉と伝承を両立させるという意図があったのではないか。私もとても面白いおじいさんたちに勉強させてもらった。震災時のお話もたくさん伺った。この資料館にぬくもりと生きた証言をもたらしてくれるのは最新のテクノロジーではなく、「人」であった。
これが何より感動したことである。先述したようにテクノロジーで震災を追体験し、最後には人のぬくもりへと行きつく。これは偶然ではないだろう。
震災の歴史を風化させず、残してゆきたいという“意志”があの建物の中にはしっかりとある。
私はそれを肌身で感じたのである。その最終地点に「人」がいたというのは普通の博物館ではあり得ないことだ。粋である。
今度は別の理由でここを訪れることになりそうな予感がする。
「人」に会いに行くのだ。
それでいい。