心に花の咲く方へ【α版】

刺激を受けた感動を言葉で

速水健朗「フード左翼講座〜消費と政治、その分かち難いランデブーのゆくえ〜」第1回

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『ラーメンと愛国』『1995』『フード左翼とフード右翼』らの著者・速水健朗さんの話を聞きたくて、今年初めてのゲンロンカフェ。

テーマは
「フード左翼講座〜消費と政治、その分かち難いランデブーのゆくえ〜」第1回。

年末にリリースされた『フード左翼とフード右翼』をさらに深化させる講座といった趣か。

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前半は速水さんによる講義。
『フード左翼とフード右翼』で訴えたかった真意を披露することから始まり、今回のテーマであるアメリカ西海岸の思想の話へとシフトしていった。

「フード左翼」本は是非たくさんの人に読まれて欲しい本だ。
端的に言えば、食の選択は政治的行為であるという速水さんの仮説を補強してゆく内容だ。
有機野菜など、食の安全を優先させる人々=産業化した食に抗う人々をフード左翼。
ジャンクフードなど、産業化された食に従順な人々をフード右翼と定義して、話は展開される。

フード左翼の実態のレポートは速水さんの著作としては新境地で面白いし、それを起点に展開される左翼右翼の思想と現実の矛盾は立ち止まって考える必要がある重要な指摘である。

食の本としても思想の本としても読める「フード左翼」本なのだが、今回の講義で速水さんが描きたかったことは、

60年代に社会を変革しようとした学生運動世代、ヒッピー世代は一体どこへ行ったのか。

ということだったという。
速水さんは彼らの政治運動が消費運動に変わったのではないかと指摘する。
これが「フード左翼」本のテーマだ。

ここで話はあらゆる方向に拡大するのだがそれが実に面白い。
社会変革とは、近代において工業化が進んだ結果生まれた階級社会を打破しようとするもの。マルクスを代表する社会主義運動のことである。社会が抱えた矛盾を政治運動によって解消する試みだ。

速水さんはこの社会変革運動は「失敗の繰り返し」だと喝破する。
先日の東京都知事選の家入一真氏を引き合いに、ベンチャーで成功した人物がどうして政治運動に転向していったのかが全然分からないと速水さんは言った。

つまり、経済活動によって成功し、世間に新しい風を吹かせた人物が何故、成功するはずのない政治運動による社会変革を希求するのかと。

ここで速水さんの社会変革に対するスタンスが明らかになる。
理念を掲げてそれに向かって突き進む社会変革は絶対に失敗する。
歴史は理念通りに行かず結果、内ゲバに向かう。
これが左翼が失敗してきた理由である。

あと、こんな指摘もあった。
左翼は平等を志向するため、すべてを共有する。
個人による「所有」をぶっつぶして「共有」する。
その例としての恋愛主義とフリーセックスの事例はとても面白かった。

左翼系の書く小説では主人公は出会う女性出会う女性とことごとくセックスをする。
そもそも恋愛とは「所有」である。
容姿やステータス、年齢などによるえり好みはそもそも「平等」に反する。
だから左翼の世界ではどんな女性ともセックスをするのである。
この話を聞きながら、初期のソ連では「家族も共有物」という思想の下、あらゆる家族が集められフリーセックスが政策としてすすめられたという話を思い出した。
いずれにしても私たちには感覚としても理解できない世界である。

だが、この例は左翼がどのような形で「平等」を目指そうとしていたかがとても分かりやすい。

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一方、ここからが本題だ。
自動車のフォードがもたらしたもの。
大量生産によってだれもが自動車を持てるようになった。
資本主義は格差と階級化を生むとしたマルクスに対して、フォードは大量生産によって「平等」を達成したのである。

西海岸はそんな思想が生まれた場所であるというのがこの講義のテーマだ。
西海岸とはアメリカの開拓精神の発露の場である。
大西洋の東からアメリカ大陸になだれ込んできた西洋人が東から西へと開拓を進めて行った場所。
豊かになった東海岸からいわば、はぐれて流れ着いたちょっと変わった人たちが集まった場所とも言える。

速水さんは3つの例を挙げて西海岸の思想を紹介した。
チャールズ・オーモンド・イームズ(1907-1978)
建築家であり、インダストリアルデザイナーであり、映像作家であるイームズ
彼は大量生産可能なイスをデザインすることで社会を変えた。当時はソ連とアメリカがミサイルで争うというよりも、ライフスタイルで競っていた時代であった。宇宙開発も冷戦の産物と言える。

ビーチボーイズ(1962-)
彼らの祖父世代は何も無い荒野だった西海岸。その発展した文化を音楽で表現した彼ら。娯楽による平等をもたらした。

自分を遅れてきたヒッピーと称したジョブズ。あの個性的なコンピュータを産んだ土壌は西海岸にあったのだ。実際に現在のコンピュータのメッカはアメリカ西部である。


休憩を挟んでの後半は速水さんとNHK出版の松島倫明さんとの対談。
前半の速水さんの講義を補いながらのこの対談は主に、西海岸で生まれたこれらの思想が日本へ輸入されるにあたり、不思議と抜け落ちたものとは何なのかを論ずることになった。

現代の何かをしたい女性が大好きなヨガやジョギングなどは西海岸のヒッピーたちが始めたものだ。自然に生きるという政治的メッセージにあふれた運動であった。しかし、日本に輸入された瞬間にそれらは見事に抜け落ちてしまっている。

この話には多分に頷く部分がある。
日本の文化の受容の骨抜き機能は別にヨガやジョギングに限ったことではない。漢字ひとつとっても漢字が輸入されたときには本国で使われていた意味性が全く抜け落ちていた。それが万葉仮名だ。それによって日本語は日本語として維持できたという日本文化の強固さを示す話なのだが、ヒッピー文化も政治性という意味は見事に抜け落ちてスタイルだけが入ってきたというわけか。

そして、今回の講義最大のワードが松島さんから飛び出す。
日本が西海岸から全く輸入出来なかったもの。

それは

リバタリアリズムであると。

西海岸は経済保守の人が多く、政府による経済介入を極端に嫌う。
アメリカの右翼は小さな政府志向である。それがリバタリアリズムだ。
アメリカで国民皆保険が嫌われるのもリバタリアリズム故のこと。

このリバタリアリズムというワードを踏まえて先ほどの話を振り返ると全てが分かりやすくなる。
イームズジョブズもリバタリアリズムで「平等」を達成したといえる。


政府の力や理念だとかそういうことではなく、資本主義に従って、自分の経済活動の果てに社会変革が成る。これがリバタリアリズム。


田母神氏いは日本の右翼の代表格だ。
しかし彼が都知事選で掲げた公約は、豊かな福祉だ。これはアメリカの経済保守からは絶対に出てこない話だ。リバタリアリズムではない。



私はここで全てを見直さなくてはならないのではないかと痛感した。
自分は理念で社会にコミットしようとしてきた。それが信念だったのだ。
しかし、実際に社会を変えているのは理念ではないのではないか。

リバタリアリズム。

これが今後、自分の思想にのしかかってくる。
確かに猪瀬直樹に触れることでこのリバタリアリズムがもたらす効果に惹かれ始めていた。
この正体を今回の講義で速水さんにはっきりと指摘された気分だ。

リバタリアリズムを突き詰めれば新自由主義へとつながるのであろうが、今は私は経済原理の中で生活している。その立場で出来ることはあるということだ。
この場所から拓ける景色があるということだ。


感想は書けば切りが無い。あまりにたくさんの刺激を頂いた。
しかし、これはまだ第1回なのだ。
幸せなことだあと2回もある。
速水さんは次回のことは考えていないと言っていたが。
いずれにしても次回の講義が楽しみである。


「福島第一原発「観光」記」から見えた景色

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つくづく反省する毎日である。
鋭い物言いをすれば誰かの中にインパクトを残せる。

これは技術論で小林よしのりを読み始めてから知ったことである。

これが世を生きてゆく技術である。

しかし最近、いろんなことを知れば知るほど、その技術論自体に疑問を持ち始めているのだ。
もちろん前提として「知る」という営みを繰り返してきての「技術論」であるのは論を待たない。
しかしそれでもやはり言論における「技術論」でやり過ごしてきたのではないかと自己反省を繰り返すのである。


東浩紀氏の「福島第一原発「観光」記」を読んだ。
昨年東氏がぶち上げた福島第一原発観光地化計画。様々な反発があるんだという。
「観光」という言葉に軽薄さがあるのだとか。
東氏の言葉からはそんな軽薄さや浅薄さは見受けられない。
私には東氏の熱さだけが伝わる。

結局知らないだけなのだ。
読みもせずに毒を吐いているに過ぎない。

この「観光記」は福島第一原発観光地化計画に携わる委員たち13名が福島第一原発と第二原発を取材した模様の紀行文である。

内容はとても刺激的。
端的に言えば、「今すぐにでも原発を見学することは可能」。
それを示している紀行文だ。

見学中に浴びる蓄積放射線量は、東京ーニューヨークを飛行機で横断する際に被曝する放射線量よりも低い。この例えはあまりに衝撃的である。

要は知らないから意識の中で作っていたイメージがあまりに分かりやすいファクトでぶっ壊されたのだ。

東氏の紀行文を読んでいて強く思ったことがある。
我々はあまりに勝手に線を引き過ぎているのではないか。

右翼と左翼、脱原発原発推進、上司と部下、男と女。。。

それぞれの景色が違っているのはある意味当然。
しかし、そのポジションから一歩も出ることなく踏ん反り返っているだけではないのか。
「観光」という言葉に対する反発ひとつとってもそうだ。ただ、言葉のイメージだけでけしからんと言っている。

知れば変わる。
知れば交わることもできる。
そうすれば可能性も生まれる。

東氏は紀行文の最後に、この紀行文はジャーナリズムのプロでもない素人が書いた文章だと「あえて」表明して、その「無責任」さや「軽薄さ」が乗り越えるものに希望を見出すと述べている。

その通りだと思うのだ。
今は誰もが勝手に自分のポジションを決めてそこから見える景色からしか判断を下さない。
そも結果生まれているのが“分断”である。

左翼と右翼の議論が噛み合うことはないし、それは我々の日常でもそうだ。

それを乗り越えるいい例が「観光」だと東氏は言って見せる。
そう、軽薄だと批判されるその「軽薄さ」こそが我々の意識が勝手に引いている線を乗り越えるのかもしれない。

線を乗り越えろ!と言うのは簡単だ。
しかし、そこへ誘うものを考えなえなければならない。

そのヒントが描かれていた。
分断を乗り越えるには線を越えて「知る」ことを繰り返すしかない。
それを自分自身、積み重ねてゆくしかない。

大瀧詠一との想い出

大瀧詠一が亡くなった。65歳だったという。

65という数字の重みは正直分からない。
この意味は65になった自分が判断するだろう。

ただただ、寂しい。
1984年発表『EACH TIME』以来アルバムをリリースすることもなくずっと沈黙を守ってきた“批評音楽家”。ずっと、いつかは世間の度肝を抜くような作品を届けてくれるに違いないと待ち続けていただけに実に寂しい大晦日だ。


大瀧詠一との想い出。

大瀧詠一と言えば「ラブジェネレーション」の主題歌『幸せな結末』のイメージ。世代ではない自分にとっても出逢いはそれだった。しかし、日本のポップス音楽を遡る作業に自分の興味が目覚めた時に最初にぶちあったのが大瀧詠一だった。その時社会人1年目。自由になる金が増えて最初に“大人買い”したのが大瀧詠一の作品群だ。名作は時代を超えて残っているものだと教えてくれたのが大瀧詠一だと言える。

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私の音楽はすべてCHAGE and ASKAのためである。CHAGE and ASKAを客観的に評価出来なければただのファンの感想に堕してしまうと気付いた時から音楽の歴史を紐解き始めたのである。CHAGE and ASKAはどんな音楽の影響を受けているのか。そんなところが理屈だ。

その最初が大瀧詠一だった。
なにしろ日本語でロックを表現した云々というのが、彼の所属するバンド•はっぴぃえんどだったからだ。はっぴぃえんど経由からの大瀧作品だった。大瀧作品の歴史はロックが日本語に溶け込む歴史そのものである。そのひとつの結実が歴史的名盤である『A LONG VACATION』だ。今でも1年に何度か無性に聴きたくなる作品。この音は自分が生まれた1980年の作品だが、時代性を超えている。古さを感じない。これがスペクターサウンドの真骨頂であろう。
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ポップスとは時代性と離れることはない。時代を経れば必ず“古く”なる。それは時代と会話をするポップスの宿命だ。それはCHAGE and ASKAだろうとなんだろうと変わらない。だからこそリテイクに意味が宿るのだ。しかし大瀧作品にリテイクは意味をなさない。聴きたいとも思わない。それはこの作品が時代性を超えているからだ。こんなことは本来あり得ないのである。ポップスを追求した果てにポップスの宿命を乗り越えてしまった作品なのである。古典でありながら現代でも間違いなく最新の音として響く作品。それが『A LONG VACATION』なのである。

その理由を知りたくて何度もこの作品を紐解くのだ。
それはきっと大瀧先生が去ったこれからも変わらない。

最大の謎を残して去ってくれたものだ。

「フクシマ」へ門を開く

12/24〜12/28にゲンロンカフェとゲンロンのオフィスで開催されている『福島第一原発観光地化計画展2013「フクシマ」へ門を開く』を見てきた。



今年は東浩紀氏が中心となって作れらた書籍『福島第一原発観光地化計画』が教えてくれたものが自分の中ですごく大きかった。

まず、この書は思想書でありながら具体的提案で固められているということ。
単なる評論に終わらない『具体的』な形があること。

これが何よりも大きかった。

論ずることはとても偉大なこと。
しかし、国民総評論家と揶揄される向きもあるこの時代に評論の価値とは何なのか。
テクノロジーの発達でアマチュアでも音楽ができる時代になって、プロとは何かが問われている音楽と全く同じ問いが思想にもされているような気がしていたところに提出されたこの『福島第一原発観光地化計画』。

東氏が打ち出した形は、思想もジャーナリズムも芸術も建築も全てを表現ととらえ、その、いわば“総合芸術”をひとつの形として吐き出すーフクシマという、日本が忘れてはならない最大の課題で全ての表現を統合してみせた。未来への具体的提案という形で。

これは今まで全くなかった試みである。

フクシマ”を乗り越えるというテーマのもとにあらゆるジャンルの表現者が集まりひとつの作品を作り上げる。これって復興そのものの姿ではないか。



今回の展覧会はいわば、その『福島第一原発観光地化計画』の芸術.建築方面を抽出したもの。f:id:kicks1126:20131227163305j:plain

あの本の総合芸術に震えるほど感動した者としては是が非でも見ておきたかったのである。



あの震災から自分は何が変わったのだろう。
何が変わらなかったのだろう。

こんな問いを忘れてしまう私の世界に堕していまいか。
個は間違いなく私を巻き込みながら世界を作っている。

あの時自分の中にあった衝動。
衝動ではない持続可能な表現。

「自分は無力だ」というセリフは悟りでもなんでもなくただの逃げであるということ。


こんな言葉が蘇った。
一度は反芻したことのある言葉だ。


ここに展示されている表現はすべてあの日と未来を結ぼうという「意志」がある。
「意志」には責任が伴う。

なにしろ芸術の素養など1ミリもない私に足を運ばせるほどの情念だ。
情報は決して無味乾燥ではない。
意志は情報となりこんな男でも呼び寄せる。

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どうやら私は福島第一原発の方角から入って来たらしい。その光の先にあるもの。

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福島ゲートヴィレッジの模型。
藤村龍至氏の完成形に至る原案もとても興味深かった。あの模型には各メンバーの福島の未来の構想が詰まっているのだと分かる熱い鉛筆描きの原案だった。チームで作ってるんだなと。

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この梅沢和木氏の絵は『福島第一原発観光地化計画』の表紙のもの。
福島ゲートヴィレッジに象徴として置かれる「ツナミの塔」。
震災ガレキを使ってという着想と、バケモノにもゆるキャラにも見える姿。
まるでゴジラ。善とか悪とか全て飲み込んで魅力を放つゴジラにその姿が被った。


第二会場は撮影禁止。
そもそも入場者が撮影されているというシチュエーションが作品という空間。

そこでの黒瀬陽平氏の「カオスラウンジ宣言」には感情を揺さぶられた。
テクノロジーが進むであろう2036年でのあの「宣言」。
あのメタファーには痺れた。
時代が変化しても変わらないもの。
それをあの「形態」で表現したのか。
もう一度逢いたい作品。



結局何が凄いって、この表現者たちはみんな自分と同世代であったり、年下ばかりだということ。
自由に表現しているようで、そこには「2036年の福島」という責任と連帯が確実にある。
自由と責任が並存する空間。

このインパクトは今後の自分を左右するものになるだろう。
自分のステージは芸術にはなり得ないが、この空間は表現してみたい。
それが社会的責任を背負える空間を。


2013.12.27




『福島第一原発観光地化計画』刊行記念イベント第1弾! 小林よしのり×東浩紀 福島第一原発観光地化計画と日本の未来@ゲンロンカフェ

平成25年11月9日(土)ゲンロンカフェにて、『福島第一原発観光地化計画』刊行記念イベント第1弾! 小林よしのり×東浩紀 福島第一原発観光地化計画と日本の未来に参加してきた。

このイベントの第一報は、東氏のツイートからだった。東氏が突如、「小林よしのりさんと連絡がとりたい」と呟いたのである。東氏とよしりんはどちらも言論における重要人物でありながら会ったことはなく、よしりんが作品中で東氏に言及する(批判的に)程度だった。東氏はよしりんの批判には敢えて無視を決め込んでいるように見えた。。

宇野常寛東浩紀の大喧嘩をツイート上で見ていた者としても、宇野常寛とAKB絡みで一緒になることが多い小林よしのりが、東浩紀に会うというだけで何かが起こるんじゃないかという期待を惹起するには十分だった。

イベントが始まる前から気になっていたのが、イベントそのもののタイトルである。

福島第一原発観光地化計画」出版記念。

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私は東氏の「福一観光地化計画」を支持し、応援している。
しかし、その晴れの成果の花火の打ち上げイベントとして呼ぶゲストが小林よしのり

前述の通り、小林よしのり東浩紀は今までシンクロしたことがほぼ無い。観客動員や話題作りという観点において小林よしのりを呼ぶということは魅力的な話なのは間違いない。しかし、東浩紀がそんな安易な視点で小林よしのりのブッキングをするとは思えない。しかも、相手は小林よしのりである。東浩紀が魂を込めて作った『福島第一原発観光地化計画』がゴーマニズムによって粉砕される危険性は十分あったはずだ。少なくとも、和気あいあいという計算など成立するはずがない。

なのに、なぜ敢えて東浩紀小林よしのりを呼んだのか。

それが私の最も興味を持った点である。


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イベントが始まり、その疑問への回答は東氏自身から語られることになった。東氏は「この本を作って最初に意見を聞きたかったのが小林よしのりさんでした」といきなり語ったのである。そして、東氏自信が90年代から『ゴーマニズム宣言』の読者で小林よしのりを尊敬していると語り、薬害エイズ闘争などは自分の世代がど真ん中なのだと、いわば、小林よしのり愛を披露したのである。正直驚いた。そうだったのか。

その上で、東氏がよしりんにゲラの段階で渡していたという『福島第一原発観光地化計画』の感想を求める。よしりんは未来のことすぎて「ピンとこない」と語った。

小林よしのりの作品も東浩紀の作品も読んでいる自分としては、なんとなく「さもありなん」って感じがした。記念すべきイベントでこの第一声は緊張感があったはずである。イベントそのものの意義が問われかねない内容だからである。

よしりん曰く、「この本は脱原発なのか推進なのか分からない」。

よしりんは『脱原発論』を著し社会に脱原発の姿勢を高らかに宣言している。
確かに『福一観光地化計画』のメンバーはその辺りの意見表明はしていない。本の中でも脱原発のメンバーもいれば推進のメンバーもいると書かれており、敢えてその意見集約を避けているのだと理由も含めてちゃんと書かれている。

議論はその辺りの両氏の意見の違いを浮き彫りにすることから始まった。

東浩紀脱原発論者である。こんな事故を起こした以上、この国で原発なんかやっていけるはずがない。だから脱原発は自明のことだと。

よしりんもその東氏の表明には驚いていたようである。東氏の中では脱原発など自明すぎて議論の意味を見出していないようだ。

一方、よしりん脱原発はしっかり論じなければならないと言う。たとえ自明のことであっても、民衆は「しょうがない」と言いながら忘れると。自民党が原発を推進する以上やはり大事なのは脱原発を叫ぶことだと。

東氏はみんな脱原発は自然の流れだと認識している。だからさらにその向こうの、未来の議論をしなければならない。脱原発だとか推進だとかを語り続けることが福島を語ることを硬直させるのではないという危惧を持っていて『福一観光地化計画』を書いた。


両氏のスタンスの違いはこの国の民衆への信頼の度合いなのだと浮き彫りになっていく。


議論は山本太郎を着火点に低線量健康被害への両氏の認識の違いにも至り、このあたりは相当緊張感があった。1ミリシーベルトを原則に全ての議論をすべきというよしりんと、それを言うと100万人規模での移住が必要だとする東氏との間で互いに主張がぶつかる。しかし、よしりんは思想の姿勢を語り、東氏は現実を語り、議論自体がすれ違っているように見えた。それをお互いが理解していないから互いが余計なヒートアップをしている気がした。相当緊張感が高まった。

流れの中で出てきた「山本太郎論」が両者のスタンスの違いを分かりやすく言い得ていたような気がする。なので、自分自身の昨日のイベント直後のツイートを引用しておく。

小林よしのり東浩紀山本太郎観はどちらも共感できる面白いものだった。よしりんはああいう原則論を掲げて突っ走る奴がいないと自民党と大衆に原発推進に流されてしまうという見方。東氏はあの手の急進的な脱原発論者のせいで脱原発論の間口が狭められているのではないかという見方。」


途中、東氏が話題を変えることで流れが変わった。

「小林さんはアンチグローバリズムじゃないですか?ならこの国はどんな国になればいいと考えているんですか?」と話が大きくなったのである。

よしりんは持論を展開する。読者ならおなじみの小林よしのりのアンチグローバリズム論。思想の節度としてこの考えは絶対に失ってはならないと私も強く共感している。

それに対して東氏がアジアとの関係についてはどう考えているのか?明治維新や戦後など、過去を捨て去って割り切る日本の体質も見逃せないのではないかなどと話題を振り、小林よしのりの内向きで完成させようとする文明観を外へ引き出そうとする。このあたりの東浩紀は圧巻だった。

よしりんがいろいろなことに気づき、納得しながら語っているのがよく分かる。生の醍醐味はここだ。2人の語りの表情、聞きの表情…特に聞きの表情は映像では抜かれないから…しかしここにこそ、重要なことが眠っていたりする。よしりんの表情が明らかに変わった。


日本は日本的価値観を持って、アジアのリーダーになるべきという小林よしのり
日本優位論は嫌いだと言いながらも、日本の中にある「普遍性」は広められるべきだという東浩紀


この程度の違いはスタンスの違いでしかない。重要な点でリンクした!それが分かる瞬間だった。


そして東氏がこの壮大な文明論を『福島第一原発観光地化計画』に落とし込む。


東浩紀は福島という場所…ユーラシアの本当の東の端であの事故が起こったことには文明や文化の話として意味があるのではないかと思っている。西洋の文明が東の果ての果てにまで押し寄せて、地震という自然の力と衝突したのではないか。

日本の歴史としても、福島は大和朝廷と蝦夷の境界地帯で、やはり文明の境目。

ヨーロッパ発の地盤の硬い場所で生まれた現代文明が岐路に立たされた場所が、自然と戦いながら共存しながら育んできた日本という独特の場所だったという意味。

日本は現代文明にはない災害や自然との共存という価値を世界に発信できる。

福島をそんな場所にしたいのだと。
だから『福島第一原発観光地化計画』を書いたのだと。


小林よしのり「ならいいんじゃないの。」「むしろ35年後なんて遅いじゃん。いますぐやってくれよ。」


東浩紀小林よしのりが完全に分かり合えた瞬間だった。
自然と拍手が起こっていた。

神が降りてきたような瞬間だった。



和気あいあいの議論ではなく緊張感にあふれ、しかしどこかに着地点を見ようという東浩紀の姿勢は素晴らしかった。終盤に今ブームとなっている若手言論人についての話にもつながるが、意見が合うとは限らない相手を招待してよく共通点を発見できたと思う。このイベントはそんな東浩紀の勝利だった。そして、その東氏のいわば、“挑戦”に受けてたって、壁になってしかし真摯に話を聞き続けた小林よしのりも凄い。彼がイデオロギーやポジションで人を決めつけないフラットな人間だということがよく分かった。それがよしりんの表情からよく読み取れた。

本当に幸せな場面に立ち会えたもんだ。

対談を聞きながら取ったメモは33ページに及んだ。
まるで大学の講義を聞いたかのようだ。

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とても清々しい“授業後”だ。
この旅を実現に導いてくれた全ての人たちに感謝します。







最後に、イベント直後の自分のツイートを記録しておく。新鮮な言葉にもそれなりに意味はあると思うから。


小林よしのり×東浩紀トークイベント。低線量健康被害の認識の差、山本太郎論?、現状の政治についてから、福島をめぐる文明論にグローバリズム、TPP、日本の在り方などなど。。最後は宇野濱野の話まで盛りだくさんすぎてわけ分からん楽しさだった。」

「最初は東氏の福島第1原発観光地化計画に懐疑的だったよしりんが、激論を交わした挙句に、福島という土地であの事故が起こったという文明論的視座に到達することで、観光地化計画に賛意を示すに至ったプロセスはあまりに刺激的で鳥肌立ちっぱなしだった。」


よしりんの話で印象に残ったのは、ゴー宣安倍晋三批判をしても全然売れないということ。よしりんの予言は全て当たっているにも関わらず売れない。大衆は安倍批判など読みたくもないのだと。だから違うアプローチとして取り組んでいるのがSAPIO連載中の『大東亜論』という話。」

kicks

今でもmixiで書いていた頃のBlogは傑作だったと思う。

処女作に込められたものが最高傑作なんて俗な意見があるが、そんな感覚か。
当時、自分が掲げたテーマは“イメージからの脱却”だ。

誰もが、誰かが垂れ流した“イメージ”とやらに左右されながら生きていて真実を見抜けていないのではないかという疑念を抱き続けているからだ。その想いは今も微塵も動かない。

イメージだとか予断が最大の敵だ。

自分自身それと闘い続けているようなものだ。

今こそそのクソイメージと闘わねばなるまい。


音楽に嘘はないのでね。
俺は本物の現場を見てるのでね。


“イメージ”でしか評論しか出来ない現場知らずや責任背負ったことのない評論家風情との闘いを続けよう。

漂白を笑え!〜『地獄でなぜ悪い』鑑賞

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先日、2度目の『地獄でなぜ悪い』を見た。

金木犀の匂いがすると秋がやって来たと思うように。
雨がアスファルトを濡らす香りがすると梅雨がやって来たと感じるように。

名作を観ると名作に出会った匂いがするものだ。

誰にも“名作センサー”はあるに違いないが、私の場合はどうか。
心が揺れるという表現が1番近いか。

心が揺れて映画館を出る時にはニヤニヤしているから、傍目には変態が建物から出てきた扱いだろう。

周囲の目を忘れさせてくれるような作品が名作といういうことだろうか。


地獄でなぜ悪い』はそんな作品だった。

日本の任侠映画がメジャーでなくなったのはいつからか。

私は任侠映画が日本映画の屋台骨を支えていた時代を知らない。しかし、『仁義なき戦い』シリーズを始め、高倉健菅原文太などがヤクザを演じてきて一時代を築いた歴史は知っている。


地獄でなぜ悪い』はその時代へのオマージュも多分に含まれている。

現実の世界はヤクザは排除すべき対象として忌み嫌われている。法律も条例もヤクザは根絶すべきで、“クリーン”な世の中作りが志向されている。そんな影響もあって任侠映画が大手を振って世間様を闊歩することができなくなったのではないか。

では任侠映画全盛の頃はそうではなかったのか?あのころはヤクザは庶民から歓迎されるような対象だったのだろうか。


決してそうではあるまい。

犯罪手を染める組織を歓迎する社会などあるわけがないのだから。

では、今と一体何が違うのか。

時代は変わると言うが、何が変わったのか。


社会がプロセスを見なくなったのである。


かつてもヤクザは排除されるべき対象だった。しかし、その世界で何が行われているのかは知りたい。自分の常識では理解できない世界でもある“物語”を見たい覗きたい。そんな欲望があったのではないか。そしてそれが時には、憧れにすら転化するような。。


そこで描かれている模様には憧れなど抱かないだろう。なにしろそこはドンパチの現場だ。といいながら、チャンバラとかドンパチとかに憧れを抱く心情が自分の中に明らかにあることを吐露しておくが。


しかし、人々が感動するのはヤクザ映画を任侠映画と呼ぶことからも、この世界の筋を通すことへの純粋性に何かを見ているからだろう。


建前では嫌いだと言いながら、それでもその世界を覗いて、そこにある本質には憧れを抱く。


こんな複雑なことを一昔前には市井の人たちが普通にやっていたのである。

これを清濁併せ呑むという。



共生というキーワードが重宝されてどれだけ時代が進んだだろうか。

共生といいながら世間の漂白は進む。


不正は許さない。

特権は許さない。


ピュアな社会が近づきつつある。

そんなPTA礼賛な社会に豪快に笑いながら鉄槌を下す。

地獄でなぜ悪い』はそんな映画だ。